子育て

人を育てるのは難しい。
ロボットじゃないから、感情持ってるし…人を育てていくってのは非常に難しい。

育てる上で何が正解ってのはないにしても、育てられる人が一般常識から外れる生き方はやっぱり人としても生きにくいわけで。
昨今は、少数派な行動や特徴があると、個性としてプラスに捉えられることが多くなってきた。

しかし、それは何がどうなろうと誰の責任にも出来ないしほとんどを自分で抱えていくことが多くなる。

育てる段階では、総合的に年齢に合った平均値を維持してやりたいと思う。

育った環境や人との関わりなんかで大人になった時にどうなろうとするのかはその子次第であると思う。

その、どうなろうとするのかという選択肢を出来るだけ増やしてやりたいと親なら当然のように思うし、子供の頃の一般教養(義務教育)の時代は、出来ないことを出来るようにさせてあげたいと思うのも親なら自然な想いであると私は思っている。

しかし、親が子供の歩むレールを引きすぎるがゆえ、親が子へ過保護や過干渉になっているケースも見られる。
してあげれることをやってあげたいという親の想いからなのかもしれないが、それは果たして、子供を育てる、人として育てるという意味ではどうなのか!?

その子供の為になっているのか!?

子供は自分で出来る可能性さえも遮られ、意欲を起こすことすらしない人間になってしまうのではないのか。。。

子育てをめんどくさがる親は、子供がわめいたりダダをこねることを嫌い、子供の要望にすぐに応え、その場をやり過ごす。
確かにめんどくさくてうるさくて、そういう時もないわけではない。

子供も要望が通り満足し、親も子供が静かになることで満足する。
それで笑顔になれる。お父さん(お母さん)と一緒にいて楽しい。
それって本気か?
毎度そんな感じでいいのか?
そして、それが自然な親子関係だと勘違いを起こし、結果、甘やかすのが通常になってしまっているのでは?
子供の機嫌を常に良くさせてるようにしか思えない。

そして、してもらえなかった時の子供の反応も半端ない。
不機嫌極まりない。
そりゃそんな感じじゃそんな子供になっちゃうよって思う。

それが子育てか?
親子関係はそれで良好だと言えるのか?
それが子供を思う親のやることか?

そして、厄介なのが、ここ近年、個性や性格が少数派な人間に対して、病気扱いをすることだ。

“病は気から”

病気だと診断された子供も自分は病気だと認知してしまうし、親も「この子は病気だから…」と、サポートすべき点以外のことでも援助をして、結果、やっぱり過保護や過干渉になるんだと思う。

これは本当にある一例ではあるけれど、そうやって子供の可能性さえも親の育て方によって阻害されてしまっている。
子供も「私はそれで良い。これが居心地が良い」と思い込んでしまっているという現状が気の毒で仕方がない。

それは決して、病気が大半を占めている結果ではないような気がしてならない。
親が子供に対して、不自由さを経験させたり、他人の助けを得ることを覚えさせる機会まで奪ってしまうために、親は子に依存してしまい子は親に依存してしまってるんだと思う。

これは本当にその子の将来を考えると大問題だと私なら思うんだけど、何せ、子育てにもめんどくさい親なもんだから、それがまた私から言わせると問題というか…本当に子供に対して愛情があるのか疑問に思う。

年齢に応じた危険を伴うこと以外は、大いにその子の可能性を引き出してあげてほしい!!!

心の目だけは離さない、自立を見守るってことなんやと思うねん!
それが親のしてあげれることなんだと思う。